どもBossれす。
またもやヨレヨレです。
9/26(月)は一日中ダウンしていました。
しかもほぼトイレの中で…。
それはいきなりやってきました。
そろそろ電話受付開始時刻になろうとする午前10時半頃。
突然の嘔吐感と腹部の激痛。
脱水症状を避ける為、水分を補給するとまた繰り返される嘔吐感。
次第に体に力が入らなくなり意識も混濁してくる。
「いっそ殺してくれ…。」
ちょっぴりホンキでそんな事を考える始末。
以前にもこんな事があったなと薄れゆく意識の中で(オオゲサ)記憶をたぐる。
ああそうだ…生牡蠣を食べてあたったんだっけ。
今回は何が原因か考えてみる。
でも思い当たる物がない。
老化なんだろうか…。
先日、鳥取に急遽飛んだ。
法事の為、帰省していた弟の妊娠中の嫁が切迫流産の恐れがあると緊急入院。
入院直後激しい腹痛を覚え検査してみるとなんと虫垂炎をおこしている。
しかも激しく癒着していて破裂寸前とのこと。
虫垂炎の手術には麻酔が必須。
胎児への影響を考えると麻酔は良くないのだがこのままでは母親の生死に関る。
弟は経営している洋服のお店のある千葉から鳥取への機中ですでに子供のことは諦めたそうだ。
春に彼等らしい、とても爽やかで清々しいステキな結婚式に出席した。
ワタクシが7歳、弟が3歳の時から両親はいない。
弟はずっとワタクシにとってオトウトだった。
そんな弟の結婚式での堂々とした挨拶や振る舞いは誇らしげだった。
結婚式から一月位して弟から電話があった。
彼にしては珍しく少し酔っているようだった。
そして嬉しそうだった。
「アニキ、子供が出来たよ。」
「おめでとう。よかったな。」
「うんうん。ありがとう、ありがとう。」
電話の向こうで彼は鼻づまりの声で何度も言った。
いわゆる家族に恵まれなかった我々兄弟は人一倍家族に対して思い入れがある。
特に父親の顔すら知らず育った弟は、子供に対してとても優しい。
ワタクシの所に連絡が入ったのは弟が鳥取入りした日の23時。
実際はワタクシにではなくワタクシのワイフの所に電話が入った。
『鳥取に来て欲しい』と言う気持ちではなく、誰かと話してないと気持ちがペチャンコになりそうだったんだとしばらくしてからバツの悪そうな顔で語った。
電話をもらい、急遽帰宅したワタクシはワイフと緊急家族会議。
結論は~朝一番の飛行機で行こう~だった。
かおりクンにエアチケットの手配をしてもらったのが深夜3時過ぎ。
何とか米子空港行きがギリギリ3枚確保できた。
バタバタと支度をして車で羽田に向かう。
セガレはなんで急遽鳥取に行くのか訳が分からない様子だったが、普段接する事の少ないワタクシとどこであろうと出かけられるのが嬉しいらしく、勉強机の本棚から持ち出した地図帳で鳥取の位置を一所懸命確認している。
ただ神妙な面持ちでなにやら色々と相談している我々に気を使ってか余計な質問などはしてこない。
世間は三連休の初日と言うこともあり、楽しげにこれから旅行に出かける家族連れで羽田は賑わっていた。
我々は握り締めたケータイに“嬉しくない報せ”が届かない事を祈りつつ出発時刻になるのをひたすら待ち続けた。
土砂降りの米子空港に降り立った。
急いでタクシーに乗り込み病院に向かう。
40分ほどタクシーに揺られた頃、ようやく遠慮がちにセガレが口を開いた。
「おなか減ったね。」
「・・・。」
冷静にならなくてはと思ってはいたものの、早朝4時頃に無理矢理起こしたセガレに食事もさせていなかった。
時計を見るともう10時になろうとしている。
「そうだな、何か食べて元気な顔で会いに行こう。」
よほどおなかが減っていたのを我慢していたのか彼の食欲は凄まじかった。
簡単な食事を済ませ、ほどなくしてようやく病院に到着。
大きな病院だったが病室はすぐに見つかった。
ドアの前に立ち、ひとつ深呼吸してノック。
返事がない。
個室なのでそろそろとドアを開け入ってみた。
ベッドには色々なチューブがつながれた義妹が横たわっていた。
なんと声を掛けてやれば良いか言葉が見つからない。
容態を聞きに行ってたナースステーションからワイフが戻ってきた。
ほぼ同じタイミングで弟が病室にやってきた。
どうやら虫垂炎の手術は無事終了。
ただ麻酔の影響や切迫流産についてはまだ予断は許さない状態。
しかし最低限母体の安全は保証出来るとワイフから説明を受け、弟も肯いている。
何をするでもない。ただひたすら病室に居続けるだけ。
義妹と話せる訳でもない。
義妹の両親は法事とは言え妊娠中に遠くまで旅をさせたことに対して詫び続ける。
「所在無い」まさにそんな感じで居心地が悪かった。
自分への無力感がそう思わせた。
その夜の便で帰るつもりだったがワイフと、そしてかおりクンと相談した結果もう一晩こちらで様子を見ることにした。